染矢敦子ブログ Tender wind

〜やさしい風が吹いてきた〜

ネジ~歌いたい、それだけを続けてきた~

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レッスン後、先生たちとの話がいつもとても楽しいんです
先日のレッスンでの話です

音楽を長い間、続けてこれる人は
ネジがどこか取れてる

染矢さんも取れてる
自分も取れてる
ってみんなで大笑いをしました

先生は30年、私は25年
親に勘当されたり
ひどいこと言われたり
不安定やお金のことや
音楽を続ける間には色んなことがある
続けることってなかなかできることじゃない
ネジがとれてるぐらいじゃないと続けられないって…
そうかも(笑)

ネジが取れてるって
悪い意味に使われることもあるけど
それを笑い飛ばせる環境が楽しくて
逆に自分を肯定されている気がするんですよね


なんで続けてこれたのか
今となってはよく分りません
苦しかったし
人の反応をとっても気にしてきたけど
くじけなかったんですよね
いつの間にか25年
やっぱりネジが外れてたのかな


ふと思うのですが
「歌いたい」それだけだったから
良かったのかもしれません

歌手になりたい
デビューしたい
それが夢ではなくて

ただ中学の時に決めた
「自分で書いた詩の歌を歌う」
ただそれだけ


家を出ないと歌えないと思った
家を出るには国立の大学に入るしかないと思った
だから勉強をした

大学に行けばやっと自分の人生が始まる
歌う、恋をする
そんな思いでする勉強は楽しかった

就職は歌える場所を選んだ

転職の時の面接で
「私は歌ってます。週に一回程度ライブをするので、その日は残業をしません」
そんなことを言ってた時期もある
歌えないなら辞めるから、先に確認しなきゃ
時間の無駄と思ったんですね

今、思うと
なんてこと言ってたんだろうって思うけど
若かったんでしょうね~
それでも受かって、ライブ活動をしながら
専門学校で講師をしていた時期があります

それが私の最後の就職かな


歌だけで生きて行くと決めたのは2005年

その為にノルマ制のライブハウスで歌うことを止めて
少しでもお金を頂ける歌う場所を探した
カフェやレストランや、施設、学校を回ったり
友人、知人にお願いしたりしていました

今、思うと本当よくやったなって思うけど
その時があるから、今の私があります


友人と歩いていて見つけたお店に
「歌わせてください」とお願いをして月一で歌っていた頃
そこの従業員の方が紹介してくれたのが高取公民館さんです
そこで館長さんが言ってくれた
「あなたの歌は人権にぴったりね」
その一言から人権やいのちのコンサートが始まって
いま県外にも歌を届けに行けるようになっています


「歌はいりませんか?」
初対面での私のその一言を拾って
お祭りで歌わせてもらったことがきっかけで
もう何年もコンサートをさせてもらってる若宮商店会さん
司会やお店紹介のリポーター、テーマソングも作らせてもらいました
そこから広がったコンサートや歌制作や人との出会いは
一つ一つ書くと長~くなるくらいたくさんあって
まだまだ広がっていっています
夫との出会いもそこからでした
それを思うともあの一言から始まった広がり
私の人生を大きく良い方へと変えていってくれました


あの必死で、無謀な時期があるから今があります
辛い思いももちろんたくさんしたけど
温かい方々に出会えてる私は幸せだなって思います

ネジがとれた私で
続けてこれて良かった

また一つ自分を好きになれました
ありがとう
いっぱいいっぱい、ありがとう