自分を責めるメカニズム
久々、私が大事にしてることへの否定的な意見をいくつか言われた。
数年前ならものすごく落ち込んだだろう。
今はそうでもなかった。
好みがあり、生きてきた今までの経験が違い、性格も違う。
中にはただ文句や下に見ること、否定的なことを言いたい人もいる。
愛情で言ってくれることも自分の状態で素直に受け取れないこともある。
みんな違う。
同じその人でも時と場合もある。
だから私はもう反対意見や受け入れられないことも覚悟して、人前に立っている。
もう一つ、人の言葉に振り回されなくなった理由。
自分で選んでいる人生だと今は認識したということもあると思う。
なんとなく、責任も持たず、ただ好きなように歌い、生きているわけじゃないんだよ。
そう見る人もいるみたいだけど…
まだまだ未熟者で足りないとこもいっぱいある。
でも自分で選び、誰かの為にも少しはなると信じ、自分も楽しもうと日々を暮らしている。
そっか…そんなこと思えるなんて、少し自分自身を認めてあげれるようになっているってことだな。
…と、今まで散々心を乱してきた否定的な意見に、あまり落ち込んでいない自分に気づいたんだけど。
なんでかな
気持ちがもやもやして
自分を責める気持ちがふつふつと湧いている
ちょっと考えるの、やめ~た
ソファに座ってくつろぐとまたふと気付きがやってくる
あっ、そっか
口答えか…
口答えしてしまったと自分を責めてる、私…
自分の思いを話しただけ
それでも相手には反論だったかもしれない
適切な言葉を使えていただろうか
誰かを悪く言う言葉になっていなかっただろうか
自分の言葉や態度を反省している
自分を責め続けた私の過去
こんなメカニズムがあったんだな
全部ではないけれど、この感じ
すごくすごく多かったと思う
人と会った後、自分の言葉や態度をよく省みていた
だから人と会った後、異常に疲れることも多かった
自分の気持ち話しただけ
だいじょうぶ、ただの会話なんだよ
みんなしている、会話をしてきただけ
本意じゃないことを
へらへら笑って頷いたとしても
きっと自宅に帰ってから自分を責めるだろう
気づけたからOK
その否定的な意見も、自己の肯定の一つにきっかけになる
面白いな人生って☆
そしてさらに掘り下げて考える
なんで、口答えしたらいけないと思うのかな
心の流れ、始まりはどこにあるのか、また考えてみよう
そして、いのちのコンサートで話そう
みんなに当てはまることじゃないけど
自分を責めてる人の心が少し軽くなったらいいな
ってね、書いてみました