祖母からの贈り物
子や孫に見守られ祝う誕生日
目出たくもあり
90歳われ
福岡に戻ってきました。
祖母の家に祖母がいないことが不思議で、あちこち部屋を回りました。
それでもやっぱり祖母はいません。
不思議です。
生まれた時から、ずっとずっと見守ってくれていた人。
*
「短歌は、敦子が全部もらってくれるから安心。
歌は、あんた達には分からん。敦子にしか分からん。」
祖母が生前、母に何度も言っていたそうです。
母の兄弟もみんな「敦子だったら、歌にするだろう」
と祖母の短歌と祖父の書き残したものをすべて
私に託してくれることになりました。
*
祖母の家の仏壇には
昨年の私の誕生日に、歌を応援してくれてる方から頂いた
私の写真入りの‘敦子せんべい’が飾れていました。
もう賞味期限切れてるのにね。
実家の仏壇にも同じものが飾られていました。
もうそんなに長く帰省していなかったんですね。
そして、何も言われないけれど
私が歌を歌っていること、ご先祖様と一緒に応援してくれていたんですね。
*
祖父が病気になり、祖母もうちの両親も一緒に旅行をしたことがあります。
私が全部の計画を立てました。
「じいちゃんの好きな花は向日葵。あっこの好きな花も向日葵」
みんなで向日葵畑にも寄りたかったのですが
時期が少しずれていて、別の花公園に行きました。
祖母も花がとても好きな人です。
「サルスベリ」
いくつかメモがテーブルにありました。
サルスベリの歌を詠もうと思っていたのかな。
病気がよくなったら、また一緒に向日葵を見に行こう。
三人の約束は叶わなかったから
祖母の胸に向日葵の花束を持ってもらいました。
向日葵の花束を抱えて、祖母が祖父に会いに行く。
何だかそんなのって素敵だな~なんて。
*
祖母からのプレゼントのような時間が流れた4日間でした。
忙しく動き回る母に、足止めがあり
1時間ほど二人きりで、ただ座っておく時間が持てました。
疲れ果てている母へ祖母からのプレゼントのような時間。
そしてその時にこんなことを言ってもらいました。
「お母さんは小さいあっこにいつも支えられていたんよ。
あっこがおらんかったら、お母さんどうなってたか分からんわあ。」
「あっこはお母さんの自慢の娘なんよ。人に自慢はせんけどね。
何か大きなことをする。この子は、人とは違うって思ってたんよ」
そうだったんだ…
私の最大のトラウマが解消した瞬間でした。
私が生まれなければ、母は幸せだったんじゃないか
そう思っていました。
そうか…私は生まれて良かったんだ。
苦しんでいたことをきっと気付いていた祖母から私への贈り物。
そして父とも手をにぎり合い。
ハグをしました。
初めてです。
「お父さんに抱きつきたいと思うこともあったけど
なかなかできんもんね」
そう言うと
「そんなお父さんじゃなかった。反省することがいっぱいある」
涙が止まらなくなりました。
あまり仲のいい姉妹ではないのですが
手をつなぎ、祖母の身体を見送りました。
そして母とお兄さんと弟さんの後ろ姿を見て
「兄弟っていいもんだね。」
「仲良くせんといけんね。」
また胸の真ん中が温かくなりました。
*
祖母の短歌仲間が祖母のことを
「家族を歌う歌人」と言ってくれたことがとても嬉しく
また最後に私の家族の愛をしっかり結んでくれました。
実際は、色んなことが山積みで大変なこともとても多いけれど
温かい帰省になりました。
いろんなことで…実家に帰る回数も増えそうです。
祖母のこと、家族のこと
私の決意、まだまだ書きたいことがたくさんあります。
またここに書いたり、ライブやうたこやの中でお話させてもらいますね。
祖母の短歌もまたここに書きます。
みなさんの温かいお心使いに感謝します。